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日常のこと、瀬戸内のこと、シュバルツ兄弟はじめました。

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3月11日に発生した、大地震、私の住む宮城県はじめ、東北地方、本当に大きなダメージをうけました。
幸い、私の実家は地盤が強かったため、震度の割には被害が軽微でした。
家も、家族も怪我なく無事でした。

今回、この大地震を経験して、自分なりにわかったこと、しんどかった点などを書いてみようと思います。
しめっぽい内容ですが、もしよければ続きからおつきあいください。


3月11日、その日は引越し荷物を業者さんに預ける日だったので、実家のほうで待機していました。
コーヒーを飲んで休憩、といったところで大きな揺れが始まりました。
手に持っていったコーヒーは、揺れでほとんどがこぼれてしまうほど、強い揺れが数分間、本当に長い間続きました。

直後に停電し、揺れもおさまってきたあたりで、外に出て、一体何が起きたのかと、車のラジオをつけました。
「宮城をはじめ、東北地方で強い地震が発生。大津波がくるおそれあり」
震度7を記録したともあり、とんでもない地震が起きたのだと、想いました。

停電したため、テレビから情報を得ることができませんでした。車のガソリンも少なかったため、ラジオをつけることもできず、11日は情報がほとんどないような状態でした。
それでも、夜には停電もなおるだろう。そんな軽い気持ちでしたが、家族が用意したラジオから聞こえてくるのは、「被害が甚大なため、電気の復旧のめどがたたない」という情報。

仏壇にあったろうそくで明かりをつけ、ほんとに真っ暗闇という状況は回避することができました。
水道は使えず、かろうじてガスだけが生きていたので、ポットにあったお湯をわかして、カップラーメンで夕食をとりました。

12日は、水道が時間制限を決めて使えるようになったのですが、給水用のポリタンクを準備してなかったため、大きな鍋やどんぶりに水をため、カップ麺が食べれる程度補充することができました。

13日になり、ようやく店が品物を売るようになり、買出しができる状態になりました。

14日に買出しに。車のガソリンが少ないため、自転車で近くの町まででかけました。
朝10時開店、でもすでに50人以上の長い長い列ができていて、並び始めてから1時間、ようやく店の中に入れるといった状態。
「一人一カゴまで。一家族15点まで」
そんな制限の中でも、必要最低限の食料は買うことができました。
ただ、ろうそく、電池はどの店も売り切れ状態。葬儀屋さんに行ってはじめてろうそくが手に入りました。
自転車に買った荷物を積み、帰り道の中、
「本当ならば今頃、卒業式だったのになぁ」なんて、切ないのか、悔しいのか、よくわかんない気持ちが湧き上がってきたのを覚えています。

15日、水道は朝夕の時間制限有。ガスは使える。電気はこない。
とても寒い夜でした。足が本当に冷たくて、夜中に何度も目が覚めました。
精神的にも、この日が一番辛かったです。

16日になり、水道の時間制限がゆるくなってきましたが、未だ夜は断水状態でした。

17日の夕方、ようやく、待ちに待った、電気がつくようになりました。
本当に、本当に嬉しくて、嬉しくて、心の中で「でんきーー!!!www」と喜びました。
約1週間ぶりに見るテレビ。その映像を見て、本当にとんでもない地震が起きた事を知りました。
大津波がきた、ラジオで聞いてはいましたが、これほどまでだとは思わなかった。
線路もすごいことになってて、電車も流されていて。

ずっと電池なかった携帯を充電し、暖かい布団で眠る事ができました。

18日、全てのライフラインが復旧しました。水道は断水になる時間帯がありました。
携帯にはたくさんの安否確認のメール、電話が。
ようやく友人とも無事を確認でき、安堵しました。

***

およそ1週間の停電でしたが、ほんとにしんどかったです。
宮城の沖でいつか、大きな地震がくるということは、幼い頃から避難訓練でたたきこまれていたのに、
いざ大地震がきてみると、
「ろうそく、電池、給水タンク」の蓄えが十分ではありませんでした。
いつかくるとしってた、でもそれが今だったとは、そんな状況です。

もし、今、家に災害時の蓄えが十分でなかったら、すぐにでもそろえておいてください。
「ろうそく、電池、飲料水」
は、即完売して、入手困難になってしまいます。
ガソリンも、満タンにとは言わないまでも、それに近い状態をた保っていたほうがいいと思います。
ライフラインは復旧しましたが、私の地元でも、毎日のように1キロ以上のガソリン待ちの車の列が並びます。
未だに私の車はガソリンが少なく、外出をすることができません。
過疎地でもあり、バス乗り場も1キロ以上先にあります。
それでもいつか、普段どおりに外出できるようになる日がくることを祈らずにはいられません。


私の地域は被害が軽微でしたが、それでもそれなりに、しんどい状態になり、精神的にもクタクタになったとき、全国各地からの励ましのメッセージ、支援物資情報に涙が止りませんでした。
ほんとうに、ありがとうございました。^^

またいつか復興し、観光地としても輝ける日がくるまで、私は私なりに、できることをしていきたいと思います。





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